前進 2011 9 17

 欧州危機をギリシャ危機と考えてしまうと、
本質が見えなくなってしまいます。
 この危機は、ギリシャ問題ではなく、
銀行問題であると考えれば、もっと早く解決したでしょう。
おそらく昨年のうちに解決した問題です。
 政治的には困難ですが、最も単純な解決方法は、
ギリシャをデフォルトさせ、
ギリシャ国債を大量に保有している銀行に対して公的資金を注入することです。
これで昨年のうちに解決していたでしょう。
 それなのに、問題をギリシャに集中させたことが、
問題の解決を先送りさせたと思います。
 さて、以下のニュースは、一歩前進と言えるでしょう。
「欧州中央銀行など欧州主要3中銀と日銀は15日、
米連邦準備制度理事会(FRB)の協力を得て、
各中銀が担当する地域の銀行に対し、
年末越えのドル建て資金を供給すると発表した。
 欧州の債務危機を受けて銀行の資金繰り懸念が拡大する中、
資金需要期の年末に協調して潤沢な資金供給を行う姿勢を打ち出すことで、
信用不安の拡大を阻止をする構えだ」(時事通信 9月16日)

後の祭り 2007 11 25
 今日もまた、日本のバブル崩壊後(失われた10年)について、
話をすることにしましょう。
 今でも、よく言われることは、
バブル崩壊の初期の段階で、つまり1992年に、
当時の宮沢首相が、不良債権問題を一掃するために、
公的資金を10兆円程度投入すべきであると主張したことがあったと思います。
 しかし、この話は、いつの間にか立ち消えになったと思います。
それは、当時、住宅金融専門会社に対する、
7000億円程度の公的資金投入ですら、世論が大騒ぎとなっていたからです。
 当時の雰囲気では、やはり貸手責任論というものが非常に強く、
7000億円程度の公的資金ですら、非難の的になっていたのです。
ましてや、10兆円の公的資金など、口が裂けても言えない雰囲気だったのです。
 今から思えば、1992年に10兆円の公的資金投入を断行していれば、
「失われた10年」にはならなかったでしょう。
そして、日本のバブル崩壊後は、軽傷に終わった可能性があるのです。
 すべては、後の祭りなのです。
あの時、1992年に、公的資金を10兆円程度投入していれば・・・・・。
 どうして、そういうことができなかったのか。
それは、ひとつには、こういうことが原因だと思います。
 知識人ですら、
「政治や社会のことは、よくわかる。
しかし、経済は、わかりにくい。
さらに金融システムとなると、さっぱり、わからない」ということです。
(これは、日本だけでなく、世界各国に共通した現象です)
 知識人ですら、こういう状態ですから、
ましてや、一般大衆に、金融システムの重要性を理解してもらうのは、
極めて困難なものとなります。
 だから、こういう時こそ、政治家の決断が必要です。
官僚では、こういう状況にある時は、立ち往生してしまいます。
政治家の英断が、事態を解決するのです。
























































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